岩石に関するニュース
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公立高入試後期選抜 開始が1時間遅れる朝日新聞生物では植物が生育する仕組み、地学は岩石の性質について、いずれも観察能力を問う内容。化学は実験で導かれる鉄の化学変化への理解度をはかった。理科離れを防ぐため、中学校の授業では実験や観察が増えているが、そうした内容を設問にしたのが特徴だ。 ...and more » |
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丹波竜 胴体の骨か 篠山層群で発掘朝日新聞同博物館によると、見つかった丹波竜の骨は胴体の背中付近にある「椎体(つい・たい)」と「棘突起(きょく・とっ・き)」と見られ、岩石の約50センチの範囲内に、割れた破片が数点散らばっているのを確認したという。07年度の第2次発掘でも同じ部分の骨が見つかって ...and more » |
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教室を岩石が直撃、3年生の児童4人死亡 ハイチCNN Japanポルトープランス(CNN) ハイチ北部沿岸の都市カプハイティエンで現地時間の15日午前、小学校の教室を岩石が直撃し、3年生の児童4人が死亡、1人が負傷した。 地元警察によると、落下してきた岩石で教室が倒壊し、8歳と9歳の児童4人が死亡した。 ... |
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岩石に衝突し軽の男性死亡/八戸東奥日報2日午前、八戸市鮫町日蔭沢の県道八戸階上線で、同市柏崎2丁目、理容卸業管野利男さん(52)の軽四輪貨物自動車が路外に逸脱、左側の岩石に衝突した。管野さんは同市内の病院に収容されたが、胸などを強く打ち午前11時10分、死亡が確認された。管野さんは白銀町方面から種差 ... |
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赤道に氷の証拠、全地球凍結説を裏付けナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト今回の発見の決め手となったのは、しかるべき時期に、しかるべき場所で、しかるべき岩石が氷河の下にあったことが証明されたことである。 ハーバード大学の地球科学者フランシス・マクドナルド氏が率いる研究チームは、カナダで氷河堆積物に挟まれる形で見つかった火山岩 ...and more » |
岩石に関する質問
岩石鑑定について
岩石鑑定をするときのコツがあれば教えてください!たくさん岩石を見るという時間がちょっとないので、経験の浅い自分にもできる、「明日使える岩石鑑定テクニック」というのがあれば。
岩石について
今、岩石の勉強をしていて、角閃石安山岩と黒雲母流紋岩のことを知りたいのですが、ネットで探してもあまり自分にとって良いサイトが見つからず、図鑑で調べても見当たらないのです。どんな岩石なのか特徴を知っている方
猿岩石について
猿岩石が何年か前、何かの番組の企画かなんかで「手裏剣トリオ」に改名したと思うんですが、いつのまにか僕が知らないあいだに「猿岩石」に戻ってるみたいですね。いつごろどういったいきさつで元の名前に戻したんでしょう
猿岩石と極楽の山本の出身地
猿岩石と山本の出身地って広島のどこですか?なんか気になったんでよろしくお願いします!!ほかに情報があればそれもお願いします!!(出身高校とか)
岩石型惑星の最大サイズ
ハル・クレメントの「重力への使命」を再読して思いました。理論値で考えられる岩石型惑星の最大はどのくらいになるでしょうか?
岩石旅行記
私もすっかりトルコのとりこ③~カッパドキア 前編(by 犬月猫星さん)
イスタンブールから飛行機で1時間+タクシー1時間!次に訪れたは、岩石地帯が広がる歴史地区カッパドキア★今回のトルコ旅行のハイライトは正にここ!!目的は2つ。
1:奇観に囲まれて育っていく人々に会う、そして触れ合う。
2:人生初の「気球に乗ってどこまでも~」を決行する。
そしてカッパドキアで過ごした2日間。
WHAT A WONDERFUL WORLD!!
こんなにもエキサイティングで一日中子どものように胸をワクワクさせ、笑顔全開だったのは何年ぶりでしょうか:)
景色も、人もみ~んな良い!COOL COOL COOOOOOOOOL!!
この地には、たくさんの「幸せ」が落ちています。
あ、さて~カッパドキアの不思議&素敵をご紹介!
中国悠久3000年の旅(10)泰山前夜-1。(by ちゃおさん)
岱廟の正面、正陽門から参道は真っ直ぐ正面の天貺殿(てんこうでん)まで延びていて、更にその正殿を越えて後ろの後宰門までの約800m、この後門を出たところから更に1.2キロ、両側に幅広の歩道を充分に取った、4車線の堂々とした直線路が真っ直ぐ泰山のとっつき、一天門まで伸びている。
この直線路の突き当たりの山、遠くから見ていていても岩石の多そうなゴツゴツとした山、それが目指す泰山であった。
道路の両側には大きな店構えの土産物店、ホテル等が並んで建っていて、今は閑散期なのか買い物客も殆ど見当たらないが、シーズンともなれば、中国各地から参詣に訪れる観光客でごった返しているに違いほどの充分に幅広の歩道を取っていた。
正面に泰山をみつつ、緩やかに傾斜しているこの大通り、紅門路を一天門に向ってゆっくり歩く。この一天門、紅門から続く参詣路「泰山中路」が古来からの参詣路で、頂上までの約9キロ、いつの頃作られたのか、7412段の石段を登ることになる。
途中のツアーエージェントで今晩の宿泊先、山の上のホテルの値段を聞くが、どこも高い。700元以上のことを言われる。ディスカウントをお願いしても500元、約8000円までが限度。
今日の内に山頂まで登り、朝日のご来光も考えたが、諦めざるを得ない。となれば、参道近辺の宿泊施設を探さなければならない。
参道入り口、一天門前は、小広い広場になっていて、バスの折り返しやらタクシー等も駐車している。土産物店も両側に数十軒とあり、これから参詣する人で賑わっている。ホテル、旅館も幾つかあるようだ。
もう時間は3時。これから山に向うのは無理だ。門の直ぐ横に「順天大酒店」の看板が見える。フロントで尋ねると、公称は1泊350元、とのこと。見たところ客の入りも少なく、100元でどうか、と交渉したら、150元までまけてくれた。
中国にも日本と同じ様に旅行約款でもあるのか、宿泊料金表がフロントに掲げられているが、そのどれもがバカ高い料金設定になっているのは、この後和回った曲阜、済南等のホテルで気がついた。
いずれにしても今日1泊の宿泊先は確保できたので、部屋にリュックを置き、早速、参道近辺の探察に出かける。
【旅行時期】2009/03/20~2009/03/25
【エリア】
泰山
【テーマ】
【投稿者】
ちゃお
ストーリー(アメリカ編③後半)(by macteenさん)
人生最大のバス旅は、禅の修行のように苦しかった。
丸一日ひたすら耐え、僕はようやくアリゾナについた。
早速向かったのは、チューソンという町にある、ホテル・コングレスという宿だった。
ここで、次の日に、ヒッピーと待ち合わせをすることになっている。
僕は一番安いドミトリー(相部屋)に泊まった。
夕方、ホテルのオープンスペースで本を読んでいると、マヤという名のミュージシャンと知り合った。
イタリア系の彼女は、ギター一本でアメリカ中のライブハウスを周りながら、自分を売り込んでいるらしい。
僕が「明日からカーニバルで働くんだ」と言うと、ケラケラ笑った。
「あなた、日本からやってきて、わざわざカーニバルで働くの?」
そして、シェリル・クロウのような声で、一曲歌ってくれた。
僕はお返しに、照れながらBOOMの「島唄」を弾いた。
ホテルには、ライブハウスやバーがあり、夜になるとそこで名の知られていないミュージシャンが演奏する。マヤもそのうちの一人だ。
その晩の、マヤのステージは好評だった。
彼女に向けられる観客の声援を聞いていると、なぜか自分の旅も上手くいくような気がした。
次の日。ヒッピーとは、午後三時にロビーで待ち合わせていた。
遅れること二時間。僕がしびれを切らした頃、ついに彼は現れた。
「おう、若僧。遅れちゃって、すまんすまん」
ド派手なアロハシャツに、短パン、暑苦しい口髭にアイドロップのサングラス。
悪趣味な中年アザラシのようである。
彼が、カーニバルの現場監督、ヒッピートムだった。
彼の迫力に度肝を抜かれたが、それ以上に、安堵の気持ちに満たされた。
何しろ、アメリカに来て初めて、誰かとつながることができたのだ。
誰も自分を知らない場所に踏みこんでいき、快感を覚えられれば一人前の旅人だろうが、このとき僕は不安で仕方がなかった。
ヒッピーに出会えた事で、ようやくアメリカにも自分の居場所ができたのだ。
日本を出てから抱えていた不安が、ポロポロと崩れて無くなった。
「んじゃ、若僧、早速カーニバルに行こうか」
ヒッピーが運転するのは、フォードのピックアップトラックだ。
僕は、後部座席にバックパックを投げいれ、広々とした助手席に乗り込んだ。
車は、カーニバルに向けて出発した。
だが、新たな疑問が沸いてきた。
そもそも、このおっさんは信用できるのか。
不法労働でも、本当に平気なのか。
カーニバルとは何なのか。
何しろ、わからない事だらけである。
僕は慣れない英語で質問をぶつけた。
だが彼は、「まぁ、待ってろ。今にわかる」と言い、後は鼻歌をふんふんやっているばかりだった。
ヒッピーは、陽気だが、寡黙な男なのだ。
チューソンの街を外れ、車は岩石とサボテンが混在する荒地の中を進んでいった。
朱色の太陽は、地平線の向こうへ沈みかけていた。
人間の背丈よりも高いサボテンの影が地面に長く伸びる。
僕は、都会の遊園地を想像していたのだが、一向に、町が表れる様子はない。
こんな何もないところに行ってどうするのか。
もしや、誰かに売り飛ばされるんじゃないか。
荒野の中をしばらく走ると、門番がいるセキュリティ・ゲートが表れた。
ヒッピーの顔を見て、男たちはゲートを開く。
アスファルトで地面を覆われた敷地の中へ入って行く。
次の瞬間、僕は思わず息を飲んだ。
前方に、何百台という巨大なトラックが現れたのだ。
それは、暗闇の中に潜むモンスターのようだった。
野球場にあるような巨大な照明機がそれらを照らし、そこには黙々と作業を進める男たちがいた。
呆然としている僕を見て、ヒッピーが言った。
「これからここに、カーニバルを作るんだ」
カーニバルとは、スグルに聞いていた通り、移動式の遊園地だった。
何百人といる従業員たちは、巨大なトラックで資材を運び、何もない場所にわずか一週間程度で巨大なアミューズメントパークを作ってしまう。
組み立て式なので、小規模かと言えば、まるでそんなことはない。
観覧車やフリーフォール、ジェットコースターもある。
コンサート会場や、バンジージャンプまである。
それは、突如現れる小さな街のようだ。
一ヶ月ごとに組み立てては解体し、アメリカ中を移動する遊園地。日本にこんなものありはしない。
僕は、自分の世界放浪の旅が、こんな奇天烈な場所で始まろうとしていることを嬉しく思った。
最初の舞台としては、何一つ不足はなさそうだ。
カーニバルを実際に見れただけでも十分に嬉しかったが、僕の目的は働くことだ。
ここで幾らか稼ぎ、旅の資金を補充しなくてはならない。
だが、ヒッピーいわく、このチューソンのカーニバルがオープンするのは、まだ一週間以上先のようだった。
更に言えば、やはり僕が働くポジションがあるかどうかも、まだ定かではないらしい。
一か八かでカーニバルに来てみたが、全く働けない可能性もあるようだ。
確かに、いきなり日本からやってきて、ビザもないのに仕事をくれというのも図々しい。
断られても、文句は言えない。
しかし、とにかく仕事が欲しい僕の気を察してくれたのか、ヒッピーがこんな提案をしてきた。
「残念ながら今ここに仕事はないが、ラスベガスに別のカーニバルがある。そこでなら働けるけど、やってみるか?」
僕は、「もちろんです」と答えた。
それにしても、自分の運も、捨てたもんじゃない。
僕は、紙芝居のように、非日常が展開していくことに、興奮を覚えた。
だが、僕を一番惹きつけたのはラスベガスという響きだった。
カジノの街だ。それも、世界一の。
仕事を見つけることで頭が一杯だった僕は、予想だにしなかったこの展開に、気分が高揚せずにはいられなかった。
まさか、自分がラスベガスで働くことになるなんて。
きっと、毎日仕事の後は、カジノで遊びまわる生活になるのだろう。
もし大勝ちしたら、カーニバルで働く必要もなくなる。
その金で、一気に世界中を旅できてしまうだろう。
僕はニヤニヤしながらヒッピーに言った。
「ラスベガスで、一人前になってきますよ」
韓国紀行12(3):5月2日(1)ソウル・ソウル市庁前広場、河川復活工事、鐘閣(by 旅人のくまさんさん)
<2004年5月2日(日)>
<ソウル市庁前広場>
昨晩は0時を回っていましたが、目が醒めたのは5時、起床は6時前でした。日常使っているAUの携帯を目覚まし代わりに使いました。時差がないので、普段のペースでよく、プレッシャー無しです。引き受けた会計整理や、簡単なメモを整理して、昨晩の約束どおり7時にドアをノックしました。
荷物を纏めて宿を出たのも、昨晩の約束どおり7時半でした。先払いなので、カウンターには誰もいなく、鍵だけを受付に置いてきました。安宿の場合、いつものことです。
宿から駅は近いですが、早い時間なので、通行人の後ろに付いて駅探しをする訳にはいけません。自分達で地下鉄の入口を探しました。駅の入口を探すのに勘がよかったのはKtさんでした。昨日までの酒が抜けて、かなり冴えてきたようです。
地下鉄を降り、階段を上れば、道路を1つ挟んでそこが市庁前の広場でした。朝の早い時間で、人影は少なく、青々とした芝生が目に飛び込んできました。Muさんの説明によりますと、以前この場所には、高速道路のアクセス部分がありましたが、取り壊したことで、この広場が復活したのだと言います。
この都市再開発、と言うより以前の自然環境を復活させたことを祝うイベントの用意がされていました。アドバルーン、仮設テント、放送用の移動車などでした。大都市の中心部にあって、この後見学した河川の復活、この広場の再生など、実に示唆に富む光景でした。
<手打ちのチャンポン麺>
朝食に純豆腐鍋(スンドウプチゲ)を食べなかったのは久し振りでした。その理由は、ソウル市庁前広場の見学を終えた後、次の清渓高架道路を撤去して元の清流に戻す工事の見学に向かう途中のことでした。ガラス張りの店舗で、日本でよく見る、手打ちの麺が目に飛び込んできたことがきっかけでした。
一旦そのお店を通り過ぎましたが、振り返った時に、手打ちの実演が見えましたので、話し合ってその店の場所まで戻りました。店そのものは新しく、老舗と言った風ではありませんでした。そのお店の看板メニューは「ちゃんぽん」でした。メニューに「麺」の文字はなかったのですが、手打ちの実演をやっていましたから、「チャンポン麺」に違いないと割り切って、3人とも同じ物を注文しました。
写真入のメニューには、麺の部分が写っていませんでした。若干心配はありましたが、運ばれてきた丼には、間違いなく先ほどの手打ち麺が入っていました。少し太めの麺は、腰もあり、塩加減も良く、わざわざ後戻りしてきた甲斐がありました。具も野菜、海産物もタップリと入って食べ応えがありました。料金は一人前5000ウォン、500円と昼食にしては少し割高でしたが、納得のいく一品でした。
この店の客は、日本人の客が何組かありました。多分、近くの高級ホテルの宿泊客だろうと推測しました。
<河川復活工事見学>
芝生広場の再生現場を見た後は、河川の復活工事の見学です。Muさんの下調べによりますと、清渓川を埋め立てて作った、清渓高架道路を撤去して、元の清流に戻す工事画進んでいるらしいとのことでした。
その現場までは、市庁前広場から歩いて向かいました。ソウルの中心街の1つですが、早い時間のためと、今日が日曜日であることが重なって、道すがら静かな朝の風景でした。先程の広場に到着したのは8時前であり、昼食を摂った後でも未だ9時前の時刻でした。10時20分に議場府駅で電車に乗るには、十分の余裕がありました。
その河川復活工事の場所では、開削工事のようにオープンだったり、ある場所では地下鉄工事のように鉄板が敷き詰められて工事が進んでいました。旧朝鮮総督府の建物、取り壊し作業中の建物、そして新築なった国立中央博物館のように、その過程を見学できた、もう1つのケースになりそうです。
この見学を終えた後は、その昔、鐘を撞いて時を知らせたと言う鐘閣(ジョンガク)の鐘楼を見学しました。見学の後、ここから議政府行きの地下鉄に乗りました。
<DMZ見学へ>
DMZ見学は、最初地下鉄1号線終点の議政府(ウィジョンプ)駅へ移動し、ここで議政府駅発10時20分の電車で新炭里(シンタンリ)に向かうと言う計画でした。朝早く起きたのも、この10時20分の電車に乗るのが目的でした。これを外すと、かなり厳しいスケジュールになってしまうとの、Muさんの下調べ結果でした。これは、韓国の新しい時刻表(シガッピョ)も確認した上での計画です。古い時刻表は私が戴き、今手元に置いてあります。
この電車に乗れば、新炭里へは11時38分の到着予定です。その間、1時間と少しの行程です。この部分は「はじめに」で紹介しておきました計画表の通りでした。早めに行動しましたので、議政府へは余裕を持って到着しました。
初めての町なので、揃って付近を散策しました。と言っても、何も特徴らしきものがない町なので、駅前のコンビニに入って昼食の品を買い求めました。1人2000ウォンの予算で、おにぎりやら缶ビールをそれぞれ品定めをしました。
「おにぎりの値段が少し高いな?」と躊躇していましたら、Muさんが2個がセットになった値段と言うことに気付き、韓国風味の三角おにぎりをそれぞれ買いました。2個セットであれば、日本の半額であり、納得できました。
空模様は相変らずはっきりしませんでした。しかし、そんなに強い雨になるような雰囲気でもありませんでした。それでも傘は必需品なので、Ktさんは二人のアドバイスに従って、ここのコンビニで折畳み傘を入手しました。この傘は、この後、無駄にはなりませんでした。
この議政府駅からの乗客は思ったより大勢でした。後で知ったことですが、終点の駅で降りてのDMZ見学だけではありませんでした。
途中の駅で降りて、付近の山々を散策する団体客が多かったためでした。ご年配のトテッキング姿や、先生に引率された子供達で電車は超満員になりました。車内は、子供さんのはしゃぐ声やら、お母さん方の話し声で、始終賑やかでした。
<激戦の地白馬高地見学>
途中の駅で降りる人も多かったものの、結局、終点の新炭里駅までは立ちっ放しでした。改めて地図で確認しますと、出発点の議政府(ウィジョンプ)駅から真っ直ぐ北に伸びた京元線の終点駅で、軍事境界線に程近いことが確認できました。
降り立った新炭里駅は、何の変哲もない田舎の駅でした。しかし、観光地としての整備がされていました。小さい駅ながらも綺麗に清掃もされていました。降りた時は、少し雨がきつくなってきました。次第に、傘無しではこの後の行動に支障をきたすような降り方に替わっていました。
Muさんが昨日予約してくれたDMZ民間ツアーの事務所は、駅の北、道路を越えた場所にありました。日本語がわかる男性が1人で詰めていました。切符は3人分纏めて手書きで発券され、指定席になっていました。マイクロバスが、20人ほどで空き席はなくなりました。Ktさんの表現によれば、「大韓航空機によく似た色合い」の車でした。満席になったところで、運転手兼ガイドさんがマイクロバスを発車させました。
最初の見学地は激戦の地「白馬高地」でした。朝鮮戦争時に砲弾が飛び交い、3mも低くなってしまったと言われます。ガイドさんは、最初に日本語で解説をしてくれ、その後で韓国語での解説も丁寧に行いました。このツアーに参加した日本人観光客が全員揃わなければ、解説をはじめないという熱の入れ方でした。
案内された小高い丘には、記念碑やシンボルタワー、記念館や鐘楼までが整備されていました。白馬高地自体は非武装地帯の中にあり、そこを見渡せる最前線の観光地と言ったところでした。高台からは、非武装地帯だけでなく、遥か向こうに北朝鮮の領域も眺めることが出来ました。
ツアーに参加された韓国の人達は、私語もほとんどなく、ガイドさんの説明に聞き入ったり、慰霊碑に黙祷を捧げられていました。観光ツアーより、もっと重たい思いを込めて参加されている人たちが多いように感じました。
<2号トンネル見学>
先にDMZの略語を説明しておきます。「Demilitarized Zone」の「非武装地帯」の頭文字です。今回見学したのは、その2号トンネルです。
ツアーパンフレットによれば、「1975年に発見された第2トンネルは、第1トンネルより規模が大きく、1時間に3万人の兵員が移動できる規模である」と説明されていました。また、「途中、広場まであり、出口は三方に分岐していた。車両、野砲、タンクまで通過できる」とされています。
ガイドさんが、「地上にいた人が地下での物音に気付き、何十箇所でボーリングした結果、地下トンネルに7箇所ほど貫通した」と説明してくれました。地下の物音とは、多分、ダイナマイトでの発破の音だったのかも知れません。
今、日本に亡命しているペルーのフジモリ大統領時代に、日本の大使館占領事件が起きました。最終的には、犯人全員が射殺されて、人質が無事解放されましたが、この時のエピソードを思い出しました。
強行突入が間じかに迫った日、大使館周りを大きな音を出してグルグルまわる風景がテレビ放映されました。実は、この時の作戦が、北朝鮮での陽動作戦を真似たものであったと言います。
大使館の真下までトンネルを掘り進み、これを使って強行突入をする作戦でしたが、地下での物音を隠蔽するために、楽団などを繰り出して大使館周りで騒いだと言います。これが、北朝鮮が地下トンネルを掘り進んでいた時に、別の山で爆発音を出して、地下の発破の音を隠蔽したことを真似た作戦でした。ある解説者の方が、テレビで話していたことを、この時思い出しました。
この見学地の運営は、すべて軍隊が当たっていて、撮影は硬く禁じられていました。したがって、この小冊子に収録できる2号トンネルの写真は1枚もありません。
入口で黄色いヘルメットが全員に渡されました。必需品でした。硬い岩石を発破しながら掘り進められたトンネルは、あちこちに突起部分があり、ヘルメットごと頭をぶつける人が続出しました。頭を保護するものがなければ、怪我することは疑いがありません。事実、Muさんもヘルメットをかなり強く天井にぶっつけたようでした。
<DMZ見学を終えて>
DMZ見学ツアーのガイドさんの働き振りには、つくづく感心させられました。20人ほどが乗ったツアーバスの運転をしながら、ヘッドホンタイプのマイクを付けて韓国語と日本語で絶え間なく解説を続け、現地に着いたかと思うと、これまたハンドマイクを持って韓国語と日本語での解説が始まりました。これが、助手無しでのすべて1人だけでのパフォーマンスでした。
月井里(ウォルジョンリ)の見学では、売店での臨時の売り子役も兼ねていました。まさに独り3役、4役といった獅子奮迅振りでした。巻末に会計記録を収録していますが、これで1人当たり1万3千ウォン、日本円で1300円ですから、安い値段に改めて驚かされました。半日コースで、しっかりとDMZの見所を案内、解説した上での値段です。日本ならば、ガソリン代相当分程度です。
民間ツアーであり、ガイドさんの頑張りでこんな安いツアーが組めるのでしょうが、DMZツアーを終えて、改めてそのお値打ち具合に感心させられました。このツアーも、Muさんが予めツアーパンフレットを下調べをしてくれ、前日の申し込みによって実現した見学でした。
見学できたのは、韓国側からこの2号トンネルへ向けて掘られた部分と、600mに亘る2号トンネルの部分でした。高低差もかなりあり、最初の部分は石段が長く続きました。照明はかなり明るく、本道に入ると、あちこちでダイナマイト発破用のドリルの跡を何箇所も見かけました。かなり固い岩盤のようです。発破作業無しでは、掘り進むのはとても無理なように思えました。トンネルの規模は大きく、 見学の終点までたどり着いた後は、新しく見学に来た人達とすれ違って元の道を戻りました。トンネルは、すれ違いに十分なスペースがありました。
トンネル見学の後は、鉄道がぷっつりと切断された月井里(ウォルジョンリ)駅とその近くの展望台、労働党の建物跡などを見学しました。人口が数万人だった、鉄原の町に残された廃墟の数々です。今は人が住んでいないものの、貴重な観光資源となっています。
こうして、今回の旅行の共通したテーマの1つ、非武装地帯の見学は無事終えることができました。
<ナミソン近郊、加平へ>
当初の計画では、DMZ見学後は、一旦ソウルに戻るケースと、夜遅くなるものの、その日のうちに春川へ向かう計画の2本立てでした。最終的には、春川の手前の加平(カピョン)の町まで移動することにしました。「冬のソナタ」の重要なロケ地であるナミソンへの最寄駅です。春川の方が大きな町なので、宿探しのリスクは少ないですが、翌日少しばかり逆戻りの区間が必要となることを考慮しての選択でした。
加平はMuさんも私も初めて訪れる町なので、正直言って、夜着での宿探しのリスクはありました。しかし、今までどおり、「小さな宿なら、何とかなる」の経験則は健在でした。雨は未だ降り続いていましたが、無事予定の時刻に加平の駅に到着しました。
予定の時刻と言っても20時近く、辺りはすっかり日が暮れていました。明日の行動を考えて、駅構内でコインロッカーを探しましたが、残念ながら見付かりませんでした。「冬のソナタ」のポスター類も見かけませんでした。
電車の中からも、ホテルのネオンが見えていましたので、宿探しは大丈夫と踏んでいました。なるべく駅に近い場所に立地したホテルを探しました。荷物を置いて、早速、加平の町の散策に出かけました。
<加平(カピョン)の町>
初めて訪れた加平の町は、時間が遅くなったせいもあって、店は大分閉まっていました。少しでもネオンの明るいところを探して、雨の中を歩き回りましたが、行き交う人もほとんどありませんでした。冬のソナタのロケ地であるナミ島がなかったら、日本の観光客が訪れることは少ないと思われる小さな町でした。
あちこち歩き回って、晩酌の店と、翌日の朝食に店に見当をつけました。朝食は勿論スンドウプの店です。晩酌の店も投宿したホテルからあまり離れていない場所に落ち着きました。開店して間もないらしく、新装開店の横断幕がありました。
その夜は、ブテチゲ(部隊鍋)を注文しました。韓国駐留のアメリカ軍に因むソーセージ等が入った唐辛子味の鍋です。飲み物はビール少しと焼酎でした。キムチと一緒に出されたナムル、山菜の香りが素晴らしかった。近郊での採りたてを使ってあったのでしょう。田舎町での夕食を十分に堪能できました。それで、1人当たりの料金は、飲み代を含めて千円未満でした。
月井里駅で
鉄の道千切れし春の雨の後
国境蒲公英寂し雨上り
鉄原で
鶯の鳴や廃墟の奥の森
鶯の間を知たるか語リ鳴
友呼ぶか人に聞かすか鳥の春
議政府駅で
春菜をホームで商う山の駅
春菜摘み香で満し汽車帰り
「写真の無いブログ」悲しみのカンボジア(10)「遺跡」・4、神々の源「プノン・クレーン」(by ちゃおさん)
アンコールには「アンコール・ワット」「アンコール・トム」の二つの遺跡を中心として、その周辺には幾つもの古い遺跡が残されている。何か、大和まほろば、奈良盆地の平城京、西の京、飛鳥、斑鳩、吉野、等々数多くの旧跡・名跡があるのと似ている感じである。
アンコールの北東約40キロ、幾つかの集落を通り過ぎ、一面がコメ畑の平野に出て暫らく走ると、前方に忽然と山が現われ、それは丁度大和三山の「天の香具山」に似た形の整った小山で、バイクは見る見るその山に近づき、その山の麓近くに今日訪ねる「バンテアイ・スレイ」がある。
この寺院は午前の早い時間に行くと良い。その赤茶けた臙脂色の古い寺院は、旭日を浴びて、燃えるような赤になる。全体がばら色砂岩で作られたこのヒンドウの寺は、アンコール・ワット、トムの先駆をなすもので、クメール王朝がコンポントム(サンボー)からこの地に移ってきた10世紀、最初に建設された寺院で、当時のインド様式のヒンドウ芸術が色濃く残されている。
「バンテアイ・スレイ」、まさにこの名前「女の砦」が示すように、寺院の至る場所にインド風の女性像が彫刻されていて、所謂「東洋のモナリザ」もこの寺にある。
嘗てアンドレ・マルローはこの地を訪れ、1個のレリーフを盗もうとして逮捕された史実が示すように、この寺院はアンコールの遺跡の中でも最も格調が高く、且つ芸術的であると言われている由縁でもある。
東面する正面の参道は今将に旭日を受けてばら色に輝き、幾つもの楼門を潜り抜けた先の一番奥まった堂宇の壁面の中にそのモナリザ像はひっそりと佇んでいた。長躯バイクを走らせ、砂埃の舞う未舗装の道路を1時間走らせてここまで来た価値はあった。
ここから更に50キロ、更に酷いデコボコ道を走り、「プノン・クレーン」国立公園の山中を走ること約1時間、この山塊の一番高い場所に「ライチの山」があり、802年、この場所に於いてジャヤヴァルマン2世が「神なる王」の儀式を行い、以後700年に及ぶアンコール王朝が始まったのだった。
その泉水は今でも乳白色の湧き水を噴き出していて、尽きることがない。攪拌、撹乱。「乳海攪拌」はここにあり、1200年の永きにわたり今日も尚、この泉は音も無く地中から乳色の水を湧出し、攪拌し続けていた。
いやしかし良く見ると、乳白色に見えた噴水は、地中の細かい白色の砂が水と混じり合って乳色に見えるのであって、水自体は透明無垢な純水だった。手に掬って飲む。甘露と言ったら嘘になるが、無色透明な味だった。
この泉から流れが始まり、シェムリアップ川になり、トンレッサプに注がれ、更にはメコンに合流し、遂には南シナ海に流れ落ちる。昔の人々にもこの道理が分っていたのだろう。
源泉から数十メートル下流には川底の大きな石に男女交合のシンボル、ヨニとリンガの彫刻が大小無数に刻まれていて、清らな流れが薄く、浅く、清流となって薄絹のベールのように流れている。数百年にわたって彫り続けられてきた人間のシンボル。飽くなき欲望。源泉。乳海攪拌。
ここから更に谷を隔てた山頂には巨大な岩石(砂岩)の上に建立された仏教寺院「プリア・トム」が有り、これまた巨大な砂岩から作られた寝釈迦「ブリア・アントン」が祀られている。
寺の展望台からは、360度の樹林帯が見渡せ、その緑の海は、ここが南方のとある場所であり、この広大な密林の中には想像もつかない奇獣、珍獣、猛獣が潜んでいるかも知れない、と。
お寺を下ったところには大きな滝があり、水量は豊富で落差も充分あり、先年見た秋保大滝に負けず劣らぬ豪快さで、滝の真近まで寄っては飛沫の冷気に身体の熱気を冷やし、漸く夢から覚めた面持ちで、ニワトリ1羽を丸まるから揚げしたのと、地元山岳民族の作った最高の料理(豚肉とハーブを和えたようなもの)の昼食を食べながら、アンコールビールを飲みつつ、このような辺鄙な場所までこられたことに感謝した。
「湧き出る乳海攪拌人の源」
【旅行時期】2008/12/23~2009/01/07
【エリア】
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【テーマ】
【投稿者】
ちゃお
岩石関連エントリー
自宅のラン:ガンゼキラン(岩石蘭)のバルブ
数年前, 荒澤山草園 からガンゼキラン(岩石蘭)の鉢を買った。小さなバルブが4~5個ついていたけれども,その年には花は咲かなかった。 ... ゴツゴツしていて,まさに「岩石」そのもの! Phaius flavus これだけ大きなバルブができ ...

岩石ランプ【ソルトランプ】楽天最安値!3000円~販売開始い ...
岩石キャンドル800円にて販売しております http://item.rakuten.co.jp/kirakira-nail/10000866/ 岩石ランプ1~2キロサイズ3000円 http://item.rakuten.co.jp/kirakira-nail/10000768/ 岩石ランプ3~5キロサイズ4500円楽天市場最安値という ...

御岳山から岩石園に行きました。
昨日は、天気も良く、久しぶりに御岳山から岩石園(ロックガーデン)を回ってきました。 久しぶりに乗るロープウエイは新しくなっています。 ... ここから、岩石園(ロックガーデン)に入ります。 途中に休息所が有りますが ...

貴重な化石・鉱物・岩石を展示します!開館97年テーマ展「収 ...
1趣旨 山口博物館は平成24年(2012年)に開館100周年を迎えます。山口博物館開館100周年のカウントダウン展として、地学収蔵庫に眠る資料の数々を公開し展示するものです。この100年間で地学の学問...

第11回さくら満開 桑田岩石園説明会
更新:2009年03月30日/公開終了:2009年04月19日
