岩石に関するニュース
 资源网 |
边缘科学化石岩石学资源网, China - 20 hours ago化石岩石学就是利用残存的化石碎片或碎屑去还原化石的本来面貌的一门科学,确切地说,化石岩石学是介于古生物学和沉积岩石学之间的一门边缘科学,是用岩石学方法研究生 ... |
金岩石:上半年或下探1400 下半年或上破2700新浪网, China - Jan 4, 2009金岩石:2009年全年震荡区间可能在1600~2400点附近。上半年将低位盘旋,如果宏观政策出现失误,上市公司2008年年报发布时,上证综指可能意外跌破1600点,到1400点左右 ... |
 新浪网 |
德清梁山上的碉堡下原来还有个好汉新浪网, China - 2 hours ago和一般的墓不同,这个墓是在岩石上凿出来的。参与抢救性挖掘的德清县博物馆研究员朱建明说,当时古人应该是利用岩石间的缝隙,用工具在岩石上凿出墓穴。大概是墓主人的 ... |
岩石に関する質問
岩石鑑定について
岩石鑑定をするときのコツがあれば教えてください!たくさん岩石を見るという時間がちょっとないので、経験の浅い自分にもできる、「明日使える岩石鑑定テクニック」というのがあれば。
岩石について
今、岩石の勉強をしていて、角閃石安山岩と黒雲母流紋岩のことを知りたいのですが、ネットで探してもあまり自分にとって良いサイトが見つからず、図鑑で調べても見当たらないのです。どんな岩石なのか特徴を知っている方
猿岩石について
猿岩石が何年か前、何かの番組の企画かなんかで「手裏剣トリオ」に改名したと思うんですが、いつのまにか僕が知らないあいだに「猿岩石」に戻ってるみたいですね。いつごろどういったいきさつで元の名前に戻したんでしょう
猿岩石と極楽の山本の出身地
猿岩石と山本の出身地って広島のどこですか?なんか気になったんでよろしくお願いします!!ほかに情報があればそれもお願いします!!(出身高校とか)
岩石型惑星の最大サイズ
ハル・クレメントの「重力への使命」を再読して思いました。理論値で考えられる岩石型惑星の最大はどのくらいになるでしょうか?
岩石旅行記
秋の鳴子峡(by 晴れ男。さん)
紅葉を見に、鳴子峡へ行ってきました。仙台から古川まで高速道路、その後、国道47号線を利用し鳴子峡へ。当日は仙台市内は快晴でしたが鳴子へ近づくにつれ、時雨模様に。時雨まじりの紅葉見学となりました。
【鳴子峡】
尿前ノ関(しとまえのせき)(※1)跡付近から中山平にいたる約四キロの峡谷で、荒尾川の支流、大谷川沿いの渓谷をいう。両岸には、猿の手掛岩(さるのてかげいわ)、虫喰岩(むしくいいわ)といったさまざまな岩石が屏風のように連なる。県の名勝に指定され、新緑、紅葉のころともによい。
(※1)
【尿前ノ関】(しとまえのせき)
出羽仙台街道の宿駅の1つである、尿前に置かれた仙台藩の番所跡である。
元禄2年(1689)、松尾芭蕉は平泉から出羽の尾花沢に出るため、曽良とともにこの関を超えた。
アルハンブラの<変な> 思い出(・・;)(by kioさん)
ミュンヘンのキャッチバーで愉しむだけ愉しんだ後、法外な料金を踏み倒して逃げてきた友人Kとパリのユースホステルで合流した後、夜行寝台列車の<プエルタ・デル・ソル号>でパリからマドリードに向かう車中,夜目に見えるピレーネ山脈を超えてからのスペインの景色を寝台ベッドでうつ伏せになりながら、飽きもせずいつまでも眺めていた。
ゴツゴツとした岩肌、月明かりに照らされた殺風景な巨大な岩石とサボテン、赤土の景色は西部劇に出てくる乾いた風景を思い出させた。ピレーネ山脈を越えたら欧州ではない、と云われるのはこの風景を観ればとても納得出来た。アフリカ的な荒野が月明かりに浮かびあがっているのが車窓から見て取れた。イタリア製の西部劇こと、マカロニ・ウエスタンのロケの多くがスペインだったというエピソードは、この風景を見た時、とても合点がいく話だった。
スペインには昔から特別の思い入れを感じていた。世界中から多くの義勇軍が参戦したというスペイン内戦のインサイドストーリー、五木寛之の著作<我が心のスペイン>から始まって、多くのスペインに関する書物を読み漁っていた時期があった。
列車が早朝のマドリッド駅に滑り込んで<MADRID>という駅標識を見た時、ついに長年、想い憧れていた街に来たという特別な感慨を持った。当時フランコ将軍は、まだ存命していた。 そしてスペインは聞きしに勝る<眼の国>だった。人の集まるあらゆる場所に監視の目が光っていた。駅構内には自動小銃を持ち迷彩服を着た軍人が詰めて目を光らせていた。出口と書かれたドアから構内に入ろうとした私は、自動小銃を抱えた軍人から押し返されたものである。
外国人が宿泊する際は、どんな安宿でもパスポートを預けなくてはならない。ただ提示するだけでなく、宿側に預けるのだ。翌日返して貰えるが、警察がチェックを入れるのだろう。他の欧州の西側諸国々で、こんな事をする国は無かった。パスポートが手元に無い事は、気持ちのいいものではなかった。一ヶ月という極く限られた短い旅ゆえ、マドリードには、グランビア<大通り>と呼ばれる街の中心地、ホセ・アントニオ通りに程近い<Hostal>と呼ばれるクラスの安宿に数日だけ滞在することしか出来なかった。
この安宿街のシステムはとてもユニークだった。夜も更けると、宿の出入り口の鍵は閉じられてしまう。その時は閉じられた門の前で拍手<かしわで>を打てば、音を聞き付けた、外套を着た門番が、遠くの方から鍵をジャラジャラさせながら、やってくるのだ。彼等は何故か一様に太っていて、ゆっくりと歩いてくる。その姿格好は中世のヨーロッパを描いた映画に出てくるような風情だった。彼らは地域一帯のHOSTALや安宿の入り口の合鍵を持っていて、相応のチップを門番に渡して自分の泊まってる宿のドアを開けてもらうのだ。
我々は他者の様子を見てこのスタイルを知った。 毎晩のように遅くまで外出していた我々は、夜毎、この鍵の門番に世話になっていた。宿に入ってベッドに潜り込んでも、聞こえてくる誰かの拍手の響きがマドリードの夜の街角にコダマする様は、悪いものではなかった。
数日の滞在で市内の知られた美術館、観光名所を訪ね、夜はマヨール広場際に連なる古くからの酒場を梯子して、フラメンコのショーを観てマドリードの数日を慌しく過ごしていた。BAR<バル>と呼ばれるスタンドバーでグラスワインが僅か数十円で飲めるのだ。10杯飲んでも僅か数百円にしか満たないのだ。ソフトドリンクの方が高いくらいだった。そんな日々を数日過ごし、マドリードを慌しく後にして、次の目的地のイスラム文化の色濃く残るアンダルシア地方、グラナダに向かった。云わずと知れた<アルハンブラ宮殿>の街だった。
列車がグラナダの駅に到着したのは夜の8時近かった。マドリードから八時間近くかかった。列車を降り、駅内のインフォメーションで安宿を紹介して貰う為に並んだ。我々の前に居たのがザックを背負った日本人旅行者だった。彼のインフォメーションでの遣り取りは言葉が通ぜず、とても難儀している様子だった。私は自分の語学力の無さも省みず、拙い英語で少しだけお節介をかけた。その旅行者は我々と同世代の学生かと思われた。「スペインは英語が通じないから困るんだよな」と男は妙に違和感の有る口調で私に話し掛けてきた。如何にもプライドの高そうな奴だった。我々の番になり、私はいつもの安宿を求める時の定番のキーワード「チーペストクラス&ツイン&クリーン」とだけ、五木氏のエッセイ集<風に吹かれて>に出てくるエピソードのフレーズを真似て短くリクエストを出すと、すぐに駅から数分の距離にあるという安宿を紹介して貰えた。 何故か先ほどの日本人が立ち去らずに、我々の遣り取りを見て、近づいて来た。
「同じ宿の二人部屋に三人で泊まれば更に安くなるだろ?」と男は唐突に妙な事を云う。何を云ってるんだ?お前? と思った。我々の押さえた部屋はツインルームだった。そこに三人で泊まると云う事は、私がミュンヘン・キャッチバー事件の友人Kと同衾せねばならぬ事態になるという事。私もKもお互いに避けたい事であり、この男にハッキリと断った。にも関わらず、この男は、金魚の糞の如く、我々の後を付いてきて離れない。何だよ?お前・・・付いてくるなよ・・・
「あんたねぇ、、、自分の宿を紹介して貰ったのに、その宿に迷惑を掛ける事になるだろが?」
「いや、日本語をしばらく話していないので、話し相手が欲しいと思ってね」
この男がいつから日本を離れているのか、別に知りたくもなかったが、私はこの男と積極的に口を利きたいとは思わなかった。話していても楽しい感じもなく、妙に四角四面で自分勝手な振る舞い、旅の連れ合いとしては最悪の部類だった。
にも関わらず!我々の泊まる宿までついてきた、この男を我々が追い払う事が出来なかったのは、同胞が夜の見知らぬ街で一人は心細いんだろう という余計な情けを掛けた所為だった。
幸運にも宿ではエキストラベッドを用意してくれて友人Kとの同衾は免れた事は取り合えずホッとした。
宿に着き、荷を解くと男が唐突に云う。
「夜のアルハンブラ宮殿に行こうぜ。ライトアップして素晴らしいらしいぞ」
長時間も列車に揺られ、いささか疲れ気味の私は、お前一人で行ってこいよ、、、という言葉が喉元まで出たが、ライトアップされて浮かび上がったアルハンブラ宮殿が私の中でイメージされると観てみたいという強い衝動に駆られ、相棒のKと同行することにした。考えてみれば、我々はアルハンブラ宮殿を観るだけのためにマドリードから8時間もかけてグラナダを訪れていたのだ。
アルハンブラ宮殿への思い入れの深さは、タルレガの演奏する<アルハンブラの思い出>のトレモロ奏法のギターが奏でるイメージに起因している事に尽きた。このギターの音色と浮かびあがるようなトレモロ奏法は、いつの日かこの地を訪れたいという私の旅心を大いに刺激しイメージと想いを膨らませて幾久しかった。
ライトアップされているというアルハンブラ宮殿を目指して歩き始めた。駅のインフォメ−ションで貰ったグラナダ市街の地図で確認すると宿から数キロの距離かと思われた。
夜のグラナダは、ほとんど人通りがなく時折、見かけるBARの灯りが街中に浮かび上がるように目立つくらいだった。マドリードでは銀座通りに当たる、夜の賑やかなグランビア<大通り>に程近いエリアに宿をとっていた我々には拍子抜けするような寂しさであった。
道すがら、私は友人Kとスペイン女性の素晴らしさを他国の女性と比較しながら、口角泡を飛ばさんばかりに熱心に語りあっていた。
「君達は何故、そういうクダラナイ話には熱心になるのかな?スペインの文化とかそういうキチンとした話は出来ないのかな?」プライド君が我々の話の腰を折ってきた。
「そういうことも含めて俺達は比較文化論を語っているんじゃないか。それが君には判らない?」と友人Kは非難する風でもなく穏やかな口調で巧みに怪しげな屁理屈論で切り返す。するとプライド君は気不味そうに押し黙った。
この時、友人Kは20歳なれど、キャッチバーを巧みに踏み倒す肝っ玉と度胸の良さも持ち合わせていた。この友人Kとは付かず離れずの長い友達付き合いが未だに続いている。
小高い丘の裾野まで歩き、見上げる先にライトアップされたアルハンブラ宮殿が浮かび上がって見えるはずだった。しかし、小高い丘の上は真っ暗闇だった。アルハンブラ宮殿はライトアップされてはいなかった。
おそらく 世界的なオイルショックの所為で電力自粛していたのかもしれない。当時、我が国でも、エネルギー不足の所為で、深夜のTV放映を自粛したり、東京タワーの煌びやかなライトアップさえ抑え気味の時期があった。
それでもアルハンブラ<赤い城>宮殿の城内に入っていた我々は、月明かりに、微細く照らされた、城内にしばし佇んだ。 満天の星の元、澄んだ空気の所為で夜のアルハンブラ宮殿で逢瀬を重ねている恋人達の吐息や囁き声さえも身近に聞こえてくる。14世紀に建造され当時イベリア半島を支配していたムーア人<アラビア人>の栄枯盛衰を物語る名残の宮殿だった。
私は門塀に繋がる低い城壁の上によじ登り、身を横たえて仰向けに満天の星を眺めやがて目を閉じながら自分が遠く東京から一万キロ離れたアルハンブラ宮殿に居る不思議さを思わずにはいられなかった。10代の頃にタルレガの<アルハンブラの思い出>を聴いて、いつか必ず訪ねてみたいと願っていたアルハンブラ宮殿に自分が居る不思議さに驚きと喜びを感じていた・・
刹那、プライド君が唐突に云う。
「これから麓にあるサクロモンテのジプシー部落までフラメンコを観に行こうぜ」
宮殿の麓にジプシー達の住む洞穴が幾つもあり、そこでフラメンコの起源になったジプシーダンスを観ることが出来るということは知っていた。
「観に行けばいいじゃん? 俺達はマドリードで一番のフラメンコを見せるタブラオレストランで充分に堪能してきたから行かないよ」と冷ややかな口調で答える私。
「君達にはフラメンコ発祥のサクロモンテの地で本場中の本場のフラメンコを観たいという気持ちはないの?それはおかしいよ」自分の価値観を押し付けてくるプライド君のスタイルや物言いに免疫が出来てきた所為か、何を云われても、この男に腹も立たなくなってきた。こいつの性分なんだと、、
「実はジプシー部落は治安があまり良くないらしいんだ。サクロモンテまで同行してくれないかな?」 プライド君、最初から素直にそういう本音を云えば良いのに、、
我々はサクロモンテのジプシー部落に向かった。日本人三人で歩いているとすぐに、スペイン人とは明らかに異なる顔立ちの男が我々の前に立ちはだかった。眉と眉が1本の線で繋がっている。眼の表情が忙しなく落ち着かない痩せたジプシーの男だった。
「お前達、フラメンコを観たいのか?俺がいい店に案内してやる。アメリカ人やイタリア人や色んな国の観光客が居る。心配するな。なんの問題もない」
心配するな、なんの問題もないと、自分から云うのが凄いなと思わず笑ってしまった。プライド君の顔を見ると緊張で表情が引き攣っている様子が垣間見えた
「フラメンコを観たがってるのは彼だけだよ」とプライド君を指差す私。
ジプシー客引きの目に軽い落胆の表情が浮かんだ。
プライド君は初志を貫く覚悟が出来たのか、私に国際学生証を渡しながら云う。
「もし、明朝までに自分が宿に戻らなかったら、関係省庁に連絡を願いたい」と大袈裟な事を云う。関係省庁だと、、こいつ、いったい何様のつもりだろ?
「何の心配もするな。君が明日の朝までに宿に戻らなかったら、その足でグラナダ警察に日本人がジプシー部落から戻ってこないと必ず届出をしておく。マドリードに戻ったら日本大使館に行って邦人が行方不明の旨と家族への連絡も頼んでおくから、心配するな」とプライド君がまるで、事件に巻き込まれる事を前提にするような事を皮肉を込めて云う私。 やがてジプシーに連れて行かれ夜の闇に消えていくプライド君の小さくなっていく後姿を見ながら、無事を少しだけ祈った。
プライド君の国際学生証を見ていた友人Kが大袈裟に叫ぶ。
「ひぇ〜〜 !!奴は東京大学の学生らしい」
確かに大学名の項目には<TOKYO>と印刷されている。
「道理で様子が変だったな。妙にプライドが高くて変わっていたな。俺達と話題も噛み合わなかったし。」と勝手な事を云う私。
「大丈夫かな?奴は?」とKが心配そうに呟く。
「大丈夫さ、命を取られたりはしないさ。でも金は巻き上げられる。間違いなく持っていかれる。お前のように踏み倒して逃げる度胸や機転は奴にはないよ」
我々は好き勝手な事を言いながら、サクロモンテのジプシー部落を去り、道中、BARを数軒冷やかしながら数時間かけて宿に戻った。すでに午前を廻っていた。 何だか妙に徒労感だけが残った。驚いたことに宿の我々の部屋の鍵が開いていた。何と!東大プライド君は先に宿に戻っているではないか!! 無事に帰れて良かったなあ、、、
彼の話によると、洞窟をくり抜いたジプシーダンスの小屋を何軒も何軒も客引きのジプシーに引き回されたという。今度行くところは本当の本物だ!みたいな事をジプシーに何度も云われ、律儀にも何軒もノコノコと付いて行ったらしい。その都度、店に金を支払い、おそらく引き回したジプシーにも店側からそれぞれマージンが支払われていたはずだ。
いったい幾ら遣ったのさ?と 問うと、「五万円ちょっとかな」と少し恥ずかしそうに答えた。マドリードのツーリスト・ンフォメーションで市内で一番評判の高いタブラオ・レストランを紹介してくれと頼んだ店でさえ邦貨でドリンク付きで邦貨換算で3000円程だったのに。
我々が余りの浮世離れぶりと御馬鹿ぶりに言葉を失っていると、東大プライド君は弁解がましく云った。
「でも金には代えられない、貴重な経験をしたから失敗したとは思っていない」と妙に強がって見せた。
しなくてもいい経験をして失敗ではないと言い放つ東大プライド君の言に超凡人の我々は発する言葉も見つからなかった。
ドッと睡魔が押し寄せた
【旅行時期】1976/02/~1976/03/
【エリア】
グラナダ
【テーマ】
【投稿者】
kio
2,000年韓国・中国・ベトナム旅行47、世界複合遺産・楽山大仏に驚愕する。NO,2(by 堀昭夫さん)
楽山大仏は唐代713年に凌雲寺の僧・海通が大渡河と青衣江が交わる地点の水害を鎮める為に建造を決定し、彼の死後も造像工事は続けられ90年をかけて完成した高さ71m、幅28mという世界最大の弥勒菩薩だ。
この工事中、凌雲山を削った大量の岩石が川底を浅くし、以後水害は大幅に減ったという事だ。
<シリーズ「庭に咲く花々」は、
http://akio-h.blog.ocn.ne.jp/blog/に展示中です。私の個展案内、新聞記事なども展示していますのでこちらも御覧下さい。>
田沢湖(by 早島 潮さん)
平成20年8月31日(日)
夕闇が迫る頃宿泊地の田沢湖ホテルに到着した。本日のバス走行距離は約407kmであった。
田沢湖ホテルに到着したら早速温泉で汗を流そうと期待していたのだが、生憎ポンプの故障で夕食後までお預けをくってしまった。
夕食の箸袋に印刷されていた生保内節(おぼないぶし)とその説明を書きとめておく。
吹けや宝風 農民の願いを込めて
生保内東風(おぼねだし)は奥羽山脈仙岩峠から吹き下りる東風、春には二メートル以上の雪を溶かし、夏には慈雨をもたらし、秋には晴天を呼んで稲を稔らせる宝風となる。海抜二百二十メートルの高地にある生保内地区(仙北郡田沢湖町)の農業は厳しく、自然との闘い。神の加護と自然の恵みだけが頼りとなる。
生保内節(おぼないぶし)はこうした農民達の願いを込めて、約四百年前に誕生した、秋田の代表的な民謡の一つである。
吹けや生保内東風(おぼねだし)
七日も八日も
吹けば宝風稲稔る
吹けや生保内東風(おぼねだし)
秋吹くならば
黄金波打つ 前田圃
生保内東風(おぼねだし)なら
日方の風よ
そろりそろりと湯のかおり
とろりとろりと
沖行く舟は
十七招けば岸に寄る
平成20年9月1日(月)
朝7時50分に宿を出発して男鹿半島の入道岬へ向かった。空は曇っている。20分程走行して田沢湖の見える場所にある土産物店で小休止した。
店の裏庭に辰子姫明神という説明書きがあり巨木の根が岩石に巻きついている。その傍にはガラスケースに龍の細工物が格納されていた。
この湖には辰子伝説と言う物語があり、この伝説と繋がりのある辰子姫明神だろうと理解した。
湖畔に出てみたがこれが最大深度423.4mで 日本一深い湖なのかという感慨を覚えただけで特記すべき感想もない。辰子の記念像が湖畔に建てられていると聞いたが時間の制約があり目撃することは出きなかった。
ウイキペデイアによれば辰子伝説は次のように説明されている。
辰子伝説
田沢湖のほとり神成村に辰子という名の娘が暮らしていた。辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。辰子はその願いを胸に、村の背後の院内岳は大蔵観音に、百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。狂奔する辰子の姿は、いつの間にか龍へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、田沢湖に身を沈め、そこの主として暮らすようになった。
辰子の母は、山に入ったまま帰らない辰子の身を案じ、やがて湖の畔で辰子と対面を果たした。辰子は変わらぬ姿で母を迎えたがその実体は既に人ではなかった。悲しむ母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖のクニマス(国鱒)の始まりという。
北方の海沿いに、八郎潟という湖がある。ここは、やはり人間から龍へと姿を変えられた八郎という龍が、終の棲家と定めた湖であった。しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという。引用終り。
ビスケット・ベイスン(Biscuit Basin)?(by しんちゃんさん)
説明版からです。【ビスケット・ベイスン(Biscuit Basin)はわずか数マイル離れたところで、1959年9年8月17日震度7.5を持って揺れました。4日後クレーターの周りで巨大な岩石ビスケットを吹き飛ばして、サファイヤ・プール(Sapphire Pool)は激しく噴火し始めました。ビスケット・ベイスンはそれらのビスケット形をしている鉱物構成にちなんで命名されました。】広すぎるトレイルですので、はしょりました。極一部の見学記です。
岩石関連エントリー
元「猿岩石」有吉弘行 再ブレイクまで援助してくれた人
... そんな有吉さんがテレビのトーク番組に出演し、「猿岩石」を解散した後の不遇時代の「秘話」を明かした。 タモリさんは「昼メガネ」と名付ける ... 森脇和成さんとともにお笑いコンビ「猿岩石」を結成していた1996年、バラエティ番組「進め!電波少年」の企画から ...

[科学]岩石学萌え
■ [ 科学 ]岩石学 萌え 最近、岩石学が面白くなってきた。 やっぱり、一つの学問領域が面白くなってくる為には知識の蓄積って言うのが必要っぽいですね。 ようやく岩石学を楽しめる知識量がたまってき始めたようで、最近楽しくて仕方ないですね。 ...
![[科学]岩石学萌え](http://www.isabell-is.com/styles/images/more.jpg)
これは?木か?岩石か?
12/14/2008 これは?木か?岩石か? これはNASA(アメリカ航空宇宙局)の過去の火星からの映像。NASAの火星ローバー(Mars Exploration Rover)が2004年5月に撮影した映像の中に倒木のようなものが写っている(画面上左側)ことが判明し ...

霧吹山の岩石怪獣作ってま~す
ケチャップ堂さんの岩石怪獣に着手しました パテ埋めまで進捗、明日サフ吹きの予定あれwwwサフ切らしてるかも(^^; しっかし、でっかいですよ~下半身のボリューム半端じゃないです~手首にずっしりきます 週末完成めざしてがんばりマッス!

岩石粘土と父ちゃんと母ちゃんと
... 五人家族になれました わっほいわっほいの毎日です 朝起きれなかった父ちゃんが 岩石粘土のおかげで早起きになって 毎日一人だった母ちゃんのお夕飯の時間は 岩石粘土とお話しながらの楽しい時間になりました 何てことない今日だけど 何の記念日 ...
